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* このブログについて *
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2008年明けましておめでとうございます。
前回の記事アップから半年以上過ぎてのご挨拶ということになりますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか?
まず、連絡事項が1点。
モラルハラスメントを扱った某大手サイトの掲示板で起きた論争と閉鎖騒動をまとめたブログ「実録・ある騒動の顛末記〜『逃げた』のは誰か」を更新しました。
「騒動」直後に私がこのブログでアップした記事、とりわけ「『特別』を振りかざすネットの『困ったちゃん』」から波及した出来事から現在に至るまでの経緯と、私の視点から見た問題の総括を記しました。
●追記:この騒動についてのまとめ・1
●追記:この騒動についてのまとめ・2
また、「実録…」ブログにこれまで施してきたhtmlタグによる検索避け措置を本日付で外しています。
続いて本題。
2007年3月以降更新が停滞していた当ブログですが、本日をもって正式に「更新停止」を宣言します。
最大の理由は、ユニオンKに関わることで言いたかったことはほぼ言い尽くした、という感覚が私の中で強くなっていることです。特に2006年春に長年住んできたH市を離れたことで、ユニオンKとの物理的距離はますます遠くなり、自分の中でも一連のハラスメントや闘いの記憶はほぼ“過去”のものとなりました。
実際には組合脱退直後の後日談など、書き記せばかなりインパクトの強い出来事があるのですが、正直「もうどうでもいいや」という気持ちです。感情を未解決のまま放置しているのであれば後々自分自身に跳ね返ってくるのでしょうが、どうやら適切に感情を処理できたようで、当時のことを思い出しても怒りや悔しさといった気持ちが湧いて来ることももはやありません。
このブログは当初、ユニオンKに対する強い怒りとともに、告発の色彩の強いものとして書き始めました。書くことが感情の交通整理へとつながったのか、「闘い」編を書き終える頃には、「ユニオンKで学んだこと」もまたそれはそれとして振り返りたい気持ちになっていました。「ユニオンの思い出」カテゴリーはこうして生まれました。
今は私のネット上の活動範囲も変化し、ここで「雑記」などのカテゴリーで書き綴ってきた事柄は別の場所で続けています。つまり、当ブログでなければ書けない出来事は、もう私にはないのです。
今日に到るまでも、ブログのHP移行など、読みやすく記録し直すことを考えたことは幾度となくあります。ただ、今の私にとってそれは、労多くして実り少ない作業としか思えませんでした。4年前の、今よりもっと未熟で幼稚な部分を含んだ私が文字通り身をよじるようにして綴った記録は、それはそれで貴重な記録として残しておきたいのです。
もし万一、FC2さんが今後、更新の停滞したブログについて削除する方針に移行することがあれば、その折には他ブログへの移転やHP化も検討しますが、そうでない限りはそのままにしておきたいと考えています。
これまでご愛読くださった方々、コメント下さった方々、皆さんの支えあってこそここまでサバイバルしていくことができました。
ネット上に「みのり」というハンドルの人間は今後も存在しますので、また別の形でお会いできる日もあるかもしれません。
そして、本日以降に縁あってこのブログにたどり着いた方には、このブログがあなたの何かを動かす契機になることを願ってやみません。
最後に、心からの感謝をこめて、ひとりでも多くの方の心が安穏たることを祈念いたします。
合掌
前回の記事アップから半年以上過ぎてのご挨拶ということになりますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか?
まず、連絡事項が1点。
モラルハラスメントを扱った某大手サイトの掲示板で起きた論争と閉鎖騒動をまとめたブログ「実録・ある騒動の顛末記〜『逃げた』のは誰か」を更新しました。
「騒動」直後に私がこのブログでアップした記事、とりわけ「『特別』を振りかざすネットの『困ったちゃん』」から波及した出来事から現在に至るまでの経緯と、私の視点から見た問題の総括を記しました。
●追記:この騒動についてのまとめ・1
●追記:この騒動についてのまとめ・2
また、「実録…」ブログにこれまで施してきたhtmlタグによる検索避け措置を本日付で外しています。
続いて本題。
2007年3月以降更新が停滞していた当ブログですが、本日をもって正式に「更新停止」を宣言します。
最大の理由は、ユニオンKに関わることで言いたかったことはほぼ言い尽くした、という感覚が私の中で強くなっていることです。特に2006年春に長年住んできたH市を離れたことで、ユニオンKとの物理的距離はますます遠くなり、自分の中でも一連のハラスメントや闘いの記憶はほぼ“過去”のものとなりました。
実際には組合脱退直後の後日談など、書き記せばかなりインパクトの強い出来事があるのですが、正直「もうどうでもいいや」という気持ちです。感情を未解決のまま放置しているのであれば後々自分自身に跳ね返ってくるのでしょうが、どうやら適切に感情を処理できたようで、当時のことを思い出しても怒りや悔しさといった気持ちが湧いて来ることももはやありません。
このブログは当初、ユニオンKに対する強い怒りとともに、告発の色彩の強いものとして書き始めました。書くことが感情の交通整理へとつながったのか、「闘い」編を書き終える頃には、「ユニオンKで学んだこと」もまたそれはそれとして振り返りたい気持ちになっていました。「ユニオンの思い出」カテゴリーはこうして生まれました。
今は私のネット上の活動範囲も変化し、ここで「雑記」などのカテゴリーで書き綴ってきた事柄は別の場所で続けています。つまり、当ブログでなければ書けない出来事は、もう私にはないのです。
今日に到るまでも、ブログのHP移行など、読みやすく記録し直すことを考えたことは幾度となくあります。ただ、今の私にとってそれは、労多くして実り少ない作業としか思えませんでした。4年前の、今よりもっと未熟で幼稚な部分を含んだ私が文字通り身をよじるようにして綴った記録は、それはそれで貴重な記録として残しておきたいのです。
もし万一、FC2さんが今後、更新の停滞したブログについて削除する方針に移行することがあれば、その折には他ブログへの移転やHP化も検討しますが、そうでない限りはそのままにしておきたいと考えています。
これまでご愛読くださった方々、コメント下さった方々、皆さんの支えあってこそここまでサバイバルしていくことができました。
ネット上に「みのり」というハンドルの人間は今後も存在しますので、また別の形でお会いできる日もあるかもしれません。
そして、本日以降に縁あってこのブログにたどり着いた方には、このブログがあなたの何かを動かす契機になることを願ってやみません。
最後に、心からの感謝をこめて、ひとりでも多くの方の心が安穏たることを祈念いたします。
合掌
2008年1月3日
Ko...@みのり
何ということだろう…。
こういう知らせは不思議と続くものである。
国労留萌闘争団メンバーの大谷英貴氏が、昨日逝去されたという。
進行がんだったとのこと。
享年50歳。あまりにも早すぎる。
国労1047名の被解雇者の一員として、ずっとたたかい続けていた方である。
映画「国労冬物語 パート1」では、闘争団員同士で生活を支えるために地元名産のホタテ貝を仕入れては支援労組の物販に奔走する大谷さんの姿が描かれている。
まだ私がユニオンにいた頃、上記映画の上映会の後、交流会と2次会のカラオケまで大谷さんとご一緒したことがあった。
ふつうの、たのしいおじさんだった。
「面識がある」と言うのは僭越にしても、スクリーンの向こうで生活ぶりを知り、直に会ったこともある方が、こんな形で先立たれるのは残念で、悲しい。
私事だが、実は昨年秋に、私は父をがんで亡くした。
さらに今月に入って、父の葬儀や満中陰に参列して元気な姿を見せてくれた叔父が、気づいたときには末期の肺がんに冒されていて、何ヶ月か前の姿からは想像もつかない痛々しい姿になりながら、今も生死の境で闘っている。
そこに加えて今回の大谷さんの訃報である。父よりも叔父よりもまださらにお若いというのに。ご家族の心中いかばかりかと思うと、まるで自分のことのように辛く感じる。
心から哀悼の意を表しつつ、国労闘争の一刻も早い勝利を祈りたい。
合掌
(3/5追記)「ともにGO!」国鉄闘争共闘会議HPに大谷さんの追悼文が掲載されましたのでご紹介します。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~tomonigo/news2007/070303ootani.html
こういう知らせは不思議と続くものである。
国労留萌闘争団メンバーの大谷英貴氏が、昨日逝去されたという。
進行がんだったとのこと。
享年50歳。あまりにも早すぎる。
国労1047名の被解雇者の一員として、ずっとたたかい続けていた方である。
映画「国労冬物語 パート1」では、闘争団員同士で生活を支えるために地元名産のホタテ貝を仕入れては支援労組の物販に奔走する大谷さんの姿が描かれている。
まだ私がユニオンにいた頃、上記映画の上映会の後、交流会と2次会のカラオケまで大谷さんとご一緒したことがあった。
ふつうの、たのしいおじさんだった。
「面識がある」と言うのは僭越にしても、スクリーンの向こうで生活ぶりを知り、直に会ったこともある方が、こんな形で先立たれるのは残念で、悲しい。
私事だが、実は昨年秋に、私は父をがんで亡くした。
さらに今月に入って、父の葬儀や満中陰に参列して元気な姿を見せてくれた叔父が、気づいたときには末期の肺がんに冒されていて、何ヶ月か前の姿からは想像もつかない痛々しい姿になりながら、今も生死の境で闘っている。
そこに加えて今回の大谷さんの訃報である。父よりも叔父よりもまださらにお若いというのに。ご家族の心中いかばかりかと思うと、まるで自分のことのように辛く感じる。
心から哀悼の意を表しつつ、国労闘争の一刻も早い勝利を祈りたい。
合掌
(3/5追記)「ともにGO!」国鉄闘争共闘会議HPに大谷さんの追悼文が掲載されましたのでご紹介します。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~tomonigo/news2007/070303ootani.html
おかげさまで新しい年を迎えることができました。
このブログも書き始めて3年目になろうとしています。
あのユニオンを去る決断をするまで、そしてそれ以降も、リアルの友人知己やネットの仲間―ずっとロムして下さっている方も含めて―本当にたくさんの方々に支えられて、ここまで歩いてきました。
モラルハラスメントの日々は、過去のものになりましたが、
自律に向けて、私自身の見失ったパーツをもう一度見つけ出す道のりは、まだ端緒についたばかりです。
いえ、それは無常の風が私を今生から連れ去るまで、続くのでしょう。
あるモラハラサイトの掲示板でのやり取りを読んでいて、強い既視感に襲われると同時に、
当ブログの「闘い」本編で書き綴ってきた、あの頃の私が、いかに心の傷も生々しいまま、とんがって突っ張ってきたかということを、深く思い知りました。
加害者、被害者とレッテル張りをするのは、とても簡単なこと。
「全て自分が悪い」と思い込んできた被害者が自らの尊厳を取り返すために、加害者の非を鳴らす過程は、多分回復過程で一度はくぐり抜ける道なのだと思う。
でも、それはあくまで回復への道のりの一部に過ぎない。
被害者が全て正しく、加害者が全て間違っている、そんな単純な善悪二元論で通用するほど、世の中は甘くない。
「壁‐『組織の論理』」の項で書いてきた、私のもどかしさと怒り。
確かに、組織を守るという大義名分が私の尊厳の回復より優先された事実は否定できない。
だけど、改めて読み返してみて、
「モラルハラスメントを理解してもらおうと、あまりにも簡単に善悪二元論で自らの被害を語り過ぎて、かえって主張に客観性を欠き、結果的に周囲の理解を遠ざけてしまったのではないか」
…そんな想いが湧きあがってきたのだ。
もう、過ぎてしまったことではある。
ユニオンKから離れたことに一片の後悔もないけれど、「わかってもらおうとする努力」があの頃の私にはまだまだ足りなかった、まだまだ心のどこかに「甘え」があった、そのことは惜しまれる。
でも、「惜しい」ということに気づけて、本当によかった。
気づきのきっかけを作ってくれたそのサイトの管理人さんには、心から感謝している。
いつまでも「モラルハラスメントの被害者」の立ち位置にいるつもりはない、と、以前書いたことがあります。
自分で自分を守る術を知らなかった私は、確かに本当にかわいそうだったと思います。
だけど、「かわいそうな私」というところで立ち止まっていては、これからの人生を生きていくにはあまりに不充分なのです。
「被害者」「加害者」という表現にどうしようもない違和感を感じ始めたのもそのせいだと思います。
善と悪ではない、もっとフラットな言葉がほしいものです。
一昨年暮れの某サイト(上で記したサイトとは別)掲示板での騒動でも、「管理人さんの言動に非はないのか?」と繰り返し問いかけたゲストに対し、管理人さんを擁護する別のゲストが「モラそっくり」といとも簡単にレッテル張りをしていたのを思い出します。
(上の文章で「既視感」と言ったのがそれにあたります)
「被害者」「加害者」という言葉が、水戸黄門の印籠のように振りかざされることで、思考停止するのはとても恐ろしいこと。
何が恐ろしいって、モラルハラスメントという行為の背景にある、支配‐被支配の関係や、当事者(ハラッサー・被虐待者・傍観者全て含めて)自身の思考の歪みなど複雑な要素をきれいさっぱり捨象したところでモラルハラスメント(特に夫婦・家族間の)を語っても、それがより多くの人の認知を得るより、とても単純で歪んだ形で浸透してしまうこと、それが恐ろしいのです。
だから。
かつてモラルハラスメントを受けたものでもあり、アダルトチャイルドの一面も持つ私は、まず自分自身をもっともっときちんと立て直したいのです。
「甘えるな」とただただ自分を鞭打つだけでもなく。
のんべんだらりと甘えてしがみつくのでもなく。
せっかく何かの縁で得たこの命、輝かしてみようじゃないの。
このブログも書き始めて3年目になろうとしています。
あのユニオンを去る決断をするまで、そしてそれ以降も、リアルの友人知己やネットの仲間―ずっとロムして下さっている方も含めて―本当にたくさんの方々に支えられて、ここまで歩いてきました。
モラルハラスメントの日々は、過去のものになりましたが、
自律に向けて、私自身の見失ったパーツをもう一度見つけ出す道のりは、まだ端緒についたばかりです。
いえ、それは無常の風が私を今生から連れ去るまで、続くのでしょう。
あるモラハラサイトの掲示板でのやり取りを読んでいて、強い既視感に襲われると同時に、
当ブログの「闘い」本編で書き綴ってきた、あの頃の私が、いかに心の傷も生々しいまま、とんがって突っ張ってきたかということを、深く思い知りました。
加害者、被害者とレッテル張りをするのは、とても簡単なこと。
「全て自分が悪い」と思い込んできた被害者が自らの尊厳を取り返すために、加害者の非を鳴らす過程は、多分回復過程で一度はくぐり抜ける道なのだと思う。
でも、それはあくまで回復への道のりの一部に過ぎない。
被害者が全て正しく、加害者が全て間違っている、そんな単純な善悪二元論で通用するほど、世の中は甘くない。
「壁‐『組織の論理』」の項で書いてきた、私のもどかしさと怒り。
確かに、組織を守るという大義名分が私の尊厳の回復より優先された事実は否定できない。
だけど、改めて読み返してみて、
「モラルハラスメントを理解してもらおうと、あまりにも簡単に善悪二元論で自らの被害を語り過ぎて、かえって主張に客観性を欠き、結果的に周囲の理解を遠ざけてしまったのではないか」
…そんな想いが湧きあがってきたのだ。
もう、過ぎてしまったことではある。
ユニオンKから離れたことに一片の後悔もないけれど、「わかってもらおうとする努力」があの頃の私にはまだまだ足りなかった、まだまだ心のどこかに「甘え」があった、そのことは惜しまれる。
でも、「惜しい」ということに気づけて、本当によかった。
気づきのきっかけを作ってくれたそのサイトの管理人さんには、心から感謝している。
いつまでも「モラルハラスメントの被害者」の立ち位置にいるつもりはない、と、以前書いたことがあります。
自分で自分を守る術を知らなかった私は、確かに本当にかわいそうだったと思います。
だけど、「かわいそうな私」というところで立ち止まっていては、これからの人生を生きていくにはあまりに不充分なのです。
「被害者」「加害者」という表現にどうしようもない違和感を感じ始めたのもそのせいだと思います。
善と悪ではない、もっとフラットな言葉がほしいものです。
一昨年暮れの某サイト(上で記したサイトとは別)掲示板での騒動でも、「管理人さんの言動に非はないのか?」と繰り返し問いかけたゲストに対し、管理人さんを擁護する別のゲストが「モラそっくり」といとも簡単にレッテル張りをしていたのを思い出します。
(上の文章で「既視感」と言ったのがそれにあたります)
「被害者」「加害者」という言葉が、水戸黄門の印籠のように振りかざされることで、思考停止するのはとても恐ろしいこと。
何が恐ろしいって、モラルハラスメントという行為の背景にある、支配‐被支配の関係や、当事者(ハラッサー・被虐待者・傍観者全て含めて)自身の思考の歪みなど複雑な要素をきれいさっぱり捨象したところでモラルハラスメント(特に夫婦・家族間の)を語っても、それがより多くの人の認知を得るより、とても単純で歪んだ形で浸透してしまうこと、それが恐ろしいのです。
だから。
かつてモラルハラスメントを受けたものでもあり、アダルトチャイルドの一面も持つ私は、まず自分自身をもっともっときちんと立て直したいのです。
「甘えるな」とただただ自分を鞭打つだけでもなく。
のんべんだらりと甘えてしがみつくのでもなく。
せっかく何かの縁で得たこの命、輝かしてみようじゃないの。
今回は職場でのモラルハラスメントの実話。
本来なら全くの仮名にするところだけど、ブログの他の文章でどうしても類推がついてしまうので、そのまま書くことにする。
ずばり、ねーねーの職場闘争での話。
ねーねーが組合に加入したきっかけは、職場の責任者とナンバー2(以下、前者をJ、後者をZと呼ぶことにする)による執拗ないじめと仕事の剥奪だった。
長くなるのではしょって書くが、ねーねーの職場の中に、「上司」はいない。
ねーねーの勤めるA社本来の職種とはかなりかけ離れた、公共団体が民間委託した職場という、かなり閉鎖的な環境で起きたハラスメント事案である。
組合がA社と団交を始めてから実にいろいろなことがあったが、ここでは触れない。
何ヶ月かの交渉がある時決裂し、結果、いじめ問題は何一つ解決されないままねーねーは職場に戻ることになった。
職場復帰の日は、ストライキの上、公的機関である職場の前には何本もの赤旗が翻り、宣伝カーも構内に入ってそれは派手な抗議集会になった。
A社も委託元の公的機関の責任者も慌てただろうが、想像以上にハラッサーのJとZには脅威だったようだ。
相変わらず仕事は取り上げられたままだったが、ねーねーは職場に戻った。
その後のJとZの取った行動がケッサクだった。
誰かに入れ知恵されたのか、何かで知って思いついたのかは知らないが、別の上部団体を持つ地域合同労組―そう、以前「嫉妬心」で登場したAユニオンに、他の同僚をなだめすかして相談に行ったのである。
もちろん、ハラスメントの事実など話すはずもなく、
「こんなに困ったちゃんのねーねーの行動のために、
自分たちの職場の存続が危うくなる」
などと言ったという。
なぜ、そんなことがH支部に筒抜けになったのか。
Aユニオンには、H支部のset...さんが、その当時まだ中央執行委員として籍を置いていたからである。
ところが。
JとZ以外の同僚は、力関係から仕方なく2人に従っていただけだったので、ねーねーが職場でJやZに負けずに渡り合う様子を見て、気持ちが動いたようだった。
残りの同僚たちは意を決して、会社の管理職とAユニオンの役員に全ての事情を打ち明けたのだった。
ここから事態が急転していく。
ねーねーに、まず仕事が戻ってきた。
Aユニオンの委員長が、ユニオンKの委員長であるmot...にset...さんを通じて「話を聞きたい」と申し入れてきた。さらにねーねーも、Aユニオンに頼まれて呼ばれて事情を話すことになった。
悪事露見なり!!!
その後もいろいろあったが、結果的に「JやZがいなくても充分仕事は回る」ということをはからずしも証明される結果となり、両者の力関係は完全に逆転した。
職場に居づらくなったJは半月後に職場を去り、さらに1ヵ月後にZも突然退職したのだった。
モラルハラスメントの体験談で、ハラッサーが被害者を装って周囲を振り回しコントロールしようとする話を時折目にする。
この話もそうした一例だろう。
だけど、少なくともJとZは、相談する相手を誤った。
労働者の団結を目指す労働組合に、同じ労働者を排斥させようとしても、どだい無理な話なのだ。
心当たりのあるあなた。
現実は甘くないですよ。
せいぜい気をつけてくださいね( ̄ー ̄)ニヤリッ
本来なら全くの仮名にするところだけど、ブログの他の文章でどうしても類推がついてしまうので、そのまま書くことにする。
ずばり、ねーねーの職場闘争での話。
ねーねーが組合に加入したきっかけは、職場の責任者とナンバー2(以下、前者をJ、後者をZと呼ぶことにする)による執拗ないじめと仕事の剥奪だった。
長くなるのではしょって書くが、ねーねーの職場の中に、「上司」はいない。
ねーねーの勤めるA社本来の職種とはかなりかけ離れた、公共団体が民間委託した職場という、かなり閉鎖的な環境で起きたハラスメント事案である。
組合がA社と団交を始めてから実にいろいろなことがあったが、ここでは触れない。
何ヶ月かの交渉がある時決裂し、結果、いじめ問題は何一つ解決されないままねーねーは職場に戻ることになった。
職場復帰の日は、ストライキの上、公的機関である職場の前には何本もの赤旗が翻り、宣伝カーも構内に入ってそれは派手な抗議集会になった。
A社も委託元の公的機関の責任者も慌てただろうが、想像以上にハラッサーのJとZには脅威だったようだ。
相変わらず仕事は取り上げられたままだったが、ねーねーは職場に戻った。
その後のJとZの取った行動がケッサクだった。
誰かに入れ知恵されたのか、何かで知って思いついたのかは知らないが、別の上部団体を持つ地域合同労組―そう、以前「嫉妬心」で登場したAユニオンに、他の同僚をなだめすかして相談に行ったのである。
もちろん、ハラスメントの事実など話すはずもなく、
「こんなに困ったちゃんのねーねーの行動のために、
自分たちの職場の存続が危うくなる」
などと言ったという。
なぜ、そんなことがH支部に筒抜けになったのか。
Aユニオンには、H支部のset...さんが、その当時まだ中央執行委員として籍を置いていたからである。
ところが。
JとZ以外の同僚は、力関係から仕方なく2人に従っていただけだったので、ねーねーが職場でJやZに負けずに渡り合う様子を見て、気持ちが動いたようだった。
残りの同僚たちは意を決して、会社の管理職とAユニオンの役員に全ての事情を打ち明けたのだった。
ここから事態が急転していく。
ねーねーに、まず仕事が戻ってきた。
Aユニオンの委員長が、ユニオンKの委員長であるmot...にset...さんを通じて「話を聞きたい」と申し入れてきた。さらにねーねーも、Aユニオンに頼まれて呼ばれて事情を話すことになった。
悪事露見なり!!!
その後もいろいろあったが、結果的に「JやZがいなくても充分仕事は回る」ということをはからずしも証明される結果となり、両者の力関係は完全に逆転した。
職場に居づらくなったJは半月後に職場を去り、さらに1ヵ月後にZも突然退職したのだった。
モラルハラスメントの体験談で、ハラッサーが被害者を装って周囲を振り回しコントロールしようとする話を時折目にする。
この話もそうした一例だろう。
だけど、少なくともJとZは、相談する相手を誤った。
労働者の団結を目指す労働組合に、同じ労働者を排斥させようとしても、どだい無理な話なのだ。
心当たりのあるあなた。
現実は甘くないですよ。
せいぜい気をつけてくださいね( ̄ー ̄)ニヤリッ
…久々の更新です。ご無沙汰していました。
最近某所(某巨大掲示板にあらず)でのネット活動の比重が大きくなったこともあって、ブログがお留守になっていました。
でも、それだけが理由じゃないと思うのです。
私自身のモラルハラスメント体験についていえば、書くことがなくなったわけじゃない。
本当は半年前から、書き進めようとしていたテーマもあったし。
ただ、私自身がユニオンKから精神的にのみならず、物理的に距離を置くようになったことで、
「あえてこのことを今書く“私自身の中での必然性”」が感じられない、それだけなのです。
それでも、書きたいと思う時には、間違いなく書くことでしょう。
そんな私にとって、このブログの存在意義はなんだろう、と時々考えます。
私がこのブログを始めた頃は、「モラルハラスメント」というテーマについて
当事者の立場から語ったブログはまだまだ少数でした。
誰か自分の思いを共有できる仲間が、一人でもほしい。
だから、「モラブロ」のブロガーとつながりたい、交流したいという気持ちが、今よりはるかに強かったと思います。
あれから2年経ち、「モラブロ」の数は飛躍的に増加しました。
しかし、その大半は夫婦間のモラルハラスメント・精神的DV被害者のもの。
精神的虐待を受けたという点では同じでも、必ずしも接点が多いわけじゃない。
独身の私には夫婦生活でのモラルハラスメントの辛さは、どうしても実感を持って想像しにくいし、
離婚調停や裁判の話も、初めて聞く世界で目からうろこが落ちる思いはするものの、自分にひきつけて考えるのは難しい。
逆もまた然り。
「労働組合」というちょっとなじみの薄い組織の中での力関係などを踏まえて読んでくださる方は、多分ごく少数なのではないかと思うのです。
むしろ私にとって身近に感じたのは、自分が組合員として介入した、職場でのいじめやパワーハラスメントのほうでした。
でも、職場のパワハラ・モラハラについて綴るブロガーは、はるかに少ないのです。
さらに。
某所で議論にもなっている、「被害者」と「加害者」の定義のあいまいさが、私の孤絶感を深めたのかもしれません。
前にも書いたように、よくあるハラッサーのタイプ、俗に言う「自己愛モラ」に、tak...は必ずしも当てはまりません。
彼女自身にも被虐待者の一面が色濃くあって(職場闘争で受けてきた仕打ちそれだけでも充分過ぎるくらい「被害者」だ)、自分で正面から向き合うには傷があまりにも深く、自分自身の心を守るために行う行為が別の人の心の尊厳を侵していく、そんなタイプのハラッサーがtak...でした。
極端に他人に気配りをする部分と、強烈な自己主張をする部分。
他人の苦しみに強い共感を見せる一方、ハラスメントの対象の心の傷に対する驚くべき無関心な態度。
こういうアンビバレントなタイプのハラッサーも、モラルハラスメント関係のネットではあまり見かけませんでした。
(ただし、ネット上で「tak...にとても近い」と感じた人に出会ったことはあります。この人もまぎれもない「被害者」でした)
結局のところ、モラルハラスメントの定義はまだ確立途上にあって、簡単に「被害者」「加害者」の二項対立にすること自体、無理があるのではないのか?
明らかな人格障害とか発達障害からくるものはまた別にして、「被害者」と「加害者」もまた、スペクトラム的な位置づけの間にあるのではないのか?
さらに、単純に「被害者」と「加害者」という個人間の問題だけではない「傍観者」や「加担者」の存在が、特に組織内でのハラスメントの問題を語る上で、抜きにできないのではないのか?
(私が、「組織の論理」とよんでいるあれだ)
そんなことを考えていると、「被害者」があえて連帯する必要があるのか、わからなくなってきました。
もちろん交流することで、自分への「気づき」のヒントを見つけることができるかもしれない。だけど、「つながる」ことが目的化したら、本末転倒だ。
すべてをわかりあう必要もない。
すべてをわかってもらおうとする必要もない。
だけど、自分の思いをわかりやすく語るためのスキルを研究することは、とても大切。
それでいいじゃないか。
だから、私は私なりのスタイルで、自分の「想い」をここから発信し続けます。
最近某所(某巨大掲示板にあらず)でのネット活動の比重が大きくなったこともあって、ブログがお留守になっていました。
でも、それだけが理由じゃないと思うのです。
私自身のモラルハラスメント体験についていえば、書くことがなくなったわけじゃない。
本当は半年前から、書き進めようとしていたテーマもあったし。
ただ、私自身がユニオンKから精神的にのみならず、物理的に距離を置くようになったことで、
「あえてこのことを今書く“私自身の中での必然性”」が感じられない、それだけなのです。
それでも、書きたいと思う時には、間違いなく書くことでしょう。
そんな私にとって、このブログの存在意義はなんだろう、と時々考えます。
私がこのブログを始めた頃は、「モラルハラスメント」というテーマについて
当事者の立場から語ったブログはまだまだ少数でした。
誰か自分の思いを共有できる仲間が、一人でもほしい。
だから、「モラブロ」のブロガーとつながりたい、交流したいという気持ちが、今よりはるかに強かったと思います。
あれから2年経ち、「モラブロ」の数は飛躍的に増加しました。
しかし、その大半は夫婦間のモラルハラスメント・精神的DV被害者のもの。
精神的虐待を受けたという点では同じでも、必ずしも接点が多いわけじゃない。
独身の私には夫婦生活でのモラルハラスメントの辛さは、どうしても実感を持って想像しにくいし、
離婚調停や裁判の話も、初めて聞く世界で目からうろこが落ちる思いはするものの、自分にひきつけて考えるのは難しい。
逆もまた然り。
「労働組合」というちょっとなじみの薄い組織の中での力関係などを踏まえて読んでくださる方は、多分ごく少数なのではないかと思うのです。
むしろ私にとって身近に感じたのは、自分が組合員として介入した、職場でのいじめやパワーハラスメントのほうでした。
でも、職場のパワハラ・モラハラについて綴るブロガーは、はるかに少ないのです。
さらに。
某所で議論にもなっている、「被害者」と「加害者」の定義のあいまいさが、私の孤絶感を深めたのかもしれません。
前にも書いたように、よくあるハラッサーのタイプ、俗に言う「自己愛モラ」に、tak...は必ずしも当てはまりません。
彼女自身にも被虐待者の一面が色濃くあって(職場闘争で受けてきた仕打ちそれだけでも充分過ぎるくらい「被害者」だ)、自分で正面から向き合うには傷があまりにも深く、自分自身の心を守るために行う行為が別の人の心の尊厳を侵していく、そんなタイプのハラッサーがtak...でした。
極端に他人に気配りをする部分と、強烈な自己主張をする部分。
他人の苦しみに強い共感を見せる一方、ハラスメントの対象の心の傷に対する驚くべき無関心な態度。
こういうアンビバレントなタイプのハラッサーも、モラルハラスメント関係のネットではあまり見かけませんでした。
(ただし、ネット上で「tak...にとても近い」と感じた人に出会ったことはあります。この人もまぎれもない「被害者」でした)
結局のところ、モラルハラスメントの定義はまだ確立途上にあって、簡単に「被害者」「加害者」の二項対立にすること自体、無理があるのではないのか?
明らかな人格障害とか発達障害からくるものはまた別にして、「被害者」と「加害者」もまた、スペクトラム的な位置づけの間にあるのではないのか?
さらに、単純に「被害者」と「加害者」という個人間の問題だけではない「傍観者」や「加担者」の存在が、特に組織内でのハラスメントの問題を語る上で、抜きにできないのではないのか?
(私が、「組織の論理」とよんでいるあれだ)
そんなことを考えていると、「被害者」があえて連帯する必要があるのか、わからなくなってきました。
もちろん交流することで、自分への「気づき」のヒントを見つけることができるかもしれない。だけど、「つながる」ことが目的化したら、本末転倒だ。
すべてをわかりあう必要もない。
すべてをわかってもらおうとする必要もない。
だけど、自分の思いをわかりやすく語るためのスキルを研究することは、とても大切。
それでいいじゃないか。
だから、私は私なりのスタイルで、自分の「想い」をここから発信し続けます。
ユニオンKの組合費は、規定では月例賃金の2%を月々支払うことになっている。
なかには、前回述べた「特別組合費」の金額で万単位の組合費を支払っている人もいるし、自分の意思で規定額より多めに組合費を払っている人もいた(たとえばねーねーがそうだった)。
少なくとも組合活動に参加している組合員に関しては、支部単位で徴収していたので、さほどの問題はない。
ただ、それを本部がどう処理しているかとなると、途端に「?」がつく。
夏冬の一時金(ボーナス)カンパや、特定の職場闘争のために臨時に募ったカンパなどとなると…少なくとも私は、領収書をもらったことは、ない。
組合在籍中、療養していた実家から郵便為替で送った5万円、果たしてちゃんと会計処理されたのかしら?
加えて、職場闘争が勝利的解決して会社から和解金が出たときの処理は、「???」だ。
(ただし、会社から組合名義で口座に振り込まれたなら、さほど問題ないが)
一方で、自分の職場問題が解決して、会議にも顔を出さなくなった「幽霊組合員」は、というと…私の知る限り、この人たちに組合費の支払いを要請していたという話は聞かない。
あるH支部の組合員が、その矛盾を疑問視してこのように言っていたのを、私は覚えている。
「職場闘争が解決しても組合に残れ残れっていうけど、
“フェードアウト”していった連中は時間使って会議に出ることもなければ、休みをつぶして支援に行くこともない。
そのうえ組合費を払う必要もないんだったら、
そりゃ誰もわざわざ組合に残ろうなんて思わないでしょ」
…「活動家肌」の人でもなければ、そういう人のほうが多いのが、現実ではなかろうか。
別のもう少し老舗の個人加盟組合では、その辺の不透明さをなくすためだろうか、労使紛争が解決した組合員は、組合に残らない場合でも半年分の組合費を収める義務を設けていた。
組合費の自動引き落としは組合員としての自覚を妨げる、とか、あくまで職場に残って会社と対峙するのが組合の本筋だ、とかはどれも正論だけど、肝心の、組合員が公平に組合の維持に協力するという点では、もっと傍から見てもガラス張りの、明確な規定があってもよかったのに、と思う。
(そういうドンブリ勘定やっときながら、あのmot...は、
ちゃんと組合費を払ってる私に「組合費滞納で除名してやる!」なんてほざいたんだよね。
よく言うよ…)
だって、変でしょ?
労働委員会などの公式文書で掲げてる組合員数と、実際に組合費を払って活動している組合員数に大差があるなんて。
それでも上部団体への上納金は、実働組合員数より少ない人数で支払っているのだ。上部団体も事情を知って黙認している。
一応法人組織なのに…労働組合のおサイフは、変幻自在です。
そして。
ユニオンK最大の不思議(?)が、
「こんな小規模の組合で、mot...の専従費は、一体どこから捻出されているのだろうか?」
ということだ。
これについては、(少なくともok...さんがH支部に説明したこと以外に)一切ユニオンから公式の説明はない。
ただ、「大きな蹉跌」で書き綴ってきた経緯の中で、「まさかと思ったけどやはり…」と思ったのだ。
「貴重な専従費を、そんなこと(デート代)に使って…」
と言ったtak...の口調の苦々しさが、おおよその状況を物語ってはいないだろうか。
組合から賃金として支払われた専従費なら、どう使おうがmot...の勝手のはずだが、tak...にとってはそうではなかった。何故なのか?
ユニオンKの根深い公私混同体質が、見えてくるだろう。
私腹を肥やしているのではないだけに、アンタッチャブルの、病巣が。
私が知っているのはユニオンKの事情だけなので、個人加盟の労働組合が全部こんな状態だとは思っていない。
それに、このこと自体ををユニオンKの「腐敗」だなどとその非を鳴らして糾弾するつもりもない。
だけど、こうした金銭面のゆがみがユニオンKに巣食う不透明さと、モラルハラスメントの元凶となる組織腐敗の原因になったのではないかと思うと、
「もうちょっとなんとかならないのかな…」
と、考えてしまうのである。
なかには、前回述べた「特別組合費」の金額で万単位の組合費を支払っている人もいるし、自分の意思で規定額より多めに組合費を払っている人もいた(たとえばねーねーがそうだった)。
少なくとも組合活動に参加している組合員に関しては、支部単位で徴収していたので、さほどの問題はない。
ただ、それを本部がどう処理しているかとなると、途端に「?」がつく。
夏冬の一時金(ボーナス)カンパや、特定の職場闘争のために臨時に募ったカンパなどとなると…少なくとも私は、領収書をもらったことは、ない。
組合在籍中、療養していた実家から郵便為替で送った5万円、果たしてちゃんと会計処理されたのかしら?
加えて、職場闘争が勝利的解決して会社から和解金が出たときの処理は、「???」だ。
(ただし、会社から組合名義で口座に振り込まれたなら、さほど問題ないが)
一方で、自分の職場問題が解決して、会議にも顔を出さなくなった「幽霊組合員」は、というと…私の知る限り、この人たちに組合費の支払いを要請していたという話は聞かない。
あるH支部の組合員が、その矛盾を疑問視してこのように言っていたのを、私は覚えている。
「職場闘争が解決しても組合に残れ残れっていうけど、
“フェードアウト”していった連中は時間使って会議に出ることもなければ、休みをつぶして支援に行くこともない。
そのうえ組合費を払う必要もないんだったら、
そりゃ誰もわざわざ組合に残ろうなんて思わないでしょ」
…「活動家肌」の人でもなければ、そういう人のほうが多いのが、現実ではなかろうか。
別のもう少し老舗の個人加盟組合では、その辺の不透明さをなくすためだろうか、労使紛争が解決した組合員は、組合に残らない場合でも半年分の組合費を収める義務を設けていた。
組合費の自動引き落としは組合員としての自覚を妨げる、とか、あくまで職場に残って会社と対峙するのが組合の本筋だ、とかはどれも正論だけど、肝心の、組合員が公平に組合の維持に協力するという点では、もっと傍から見てもガラス張りの、明確な規定があってもよかったのに、と思う。
(そういうドンブリ勘定やっときながら、あのmot...は、
ちゃんと組合費を払ってる私に「組合費滞納で除名してやる!」なんてほざいたんだよね。
よく言うよ…)
だって、変でしょ?
労働委員会などの公式文書で掲げてる組合員数と、実際に組合費を払って活動している組合員数に大差があるなんて。
それでも上部団体への上納金は、実働組合員数より少ない人数で支払っているのだ。上部団体も事情を知って黙認している。
一応法人組織なのに…労働組合のおサイフは、変幻自在です。
そして。
ユニオンK最大の不思議(?)が、
「こんな小規模の組合で、mot...の専従費は、一体どこから捻出されているのだろうか?」
ということだ。
これについては、(少なくともok...さんがH支部に説明したこと以外に)一切ユニオンから公式の説明はない。
ただ、「大きな蹉跌」で書き綴ってきた経緯の中で、「まさかと思ったけどやはり…」と思ったのだ。
「貴重な専従費を、そんなこと(デート代)に使って…」
と言ったtak...の口調の苦々しさが、おおよその状況を物語ってはいないだろうか。
組合から賃金として支払われた専従費なら、どう使おうがmot...の勝手のはずだが、tak...にとってはそうではなかった。何故なのか?
ユニオンKの根深い公私混同体質が、見えてくるだろう。
私腹を肥やしているのではないだけに、アンタッチャブルの、病巣が。
私が知っているのはユニオンKの事情だけなので、個人加盟の労働組合が全部こんな状態だとは思っていない。
それに、このこと自体ををユニオンKの「腐敗」だなどとその非を鳴らして糾弾するつもりもない。
だけど、こうした金銭面のゆがみがユニオンKに巣食う不透明さと、モラルハラスメントの元凶となる組織腐敗の原因になったのではないかと思うと、
「もうちょっとなんとかならないのかな…」
と、考えてしまうのである。







